パレスチナの問題


★パレスチナ紛争の発端

・第一次世界大戦時のイギリスによる「三枚舌外交」が原因。
・パレスチナはかつてオスマントルコが支配し、パレスチナ人(イスラム教徒やキリスト教徒のアラブ人)とユダヤ人が共存していた.
  が、第一次世界大戦でトルコに宣戦したイギリスは、パレスチナを占領するために矛盾する3つの約束をした。

・1915年 メッカの太守フセインにパレスチナを含むアラブ地域の独立支持を約束(フセイン・マクマホン往復書簡)
・1916年 フランスとパレスチナを国際管理地域にすることを密約(サイクス・ピコ条約)。
・1917年 ユダヤ有力者ロスチャイルドにパレスチナにユダヤ人国家建設支持を約束(バルフォア宣言)。

・これらにより、フランスと協調し、アラブ人の対トルコ反乱に助けられ、ユダヤ人の資金援助を受けてパレスチナを占領
・だが、戦争集結と共に約束を反故にし、イギリスはパレスチナを国連の委任統治領として手中に収めた。

・その結果、それぞれがイギリスと独立の約束をしていたユダヤ人とパレスチナ人の間で対立が深まっていった。
・特に「故郷なき民」としてヨーロッパ各地で長年迫害されていたユダヤ人が、古代イスラエル王国のあったパレスチナに独立国家を築くべく、
  パレスチナで土地を買い集めて各地に入植地を作り、シオニズム運動によってパレスチナに「帰国」するユダヤ人が増えると、
  パレスチナ人は危機感を抱いてしばしば抗争が発生するようになった。

・第二次世界大戦後、ナチスによる虐殺で国際的な同情を集めたユダヤ人がイギリス政府に独立支持を強要(テロ)。
・1947年 イギリスは委任統治の放棄を発表。
・イギリス撤退後のパレスチナをどうするかが急きょ問題になり、国連はパレスチナをユダヤ人国家とパレスチナ人国家に分割して
  エルサレムは国際管理下に置くという分割案を採択。
・イスラエルの建国準備を進めていたユダヤ側はこれを受け入れたが、パレスチナすべての領有を主張するパレスチナ人側は拒否。

・1948年5月 イギリス撤退と同時にユダヤ人はイスラエルの独立を宣言。
・これに対してパレスチナ人を支援するエジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラクの周辺アラブ諸国が参戦して第一次中東戦争が勃発。
・だが寄せ集めのアラブ側は士気が低く、指揮系統も混乱して敗退。
・イスラエル軍はパレスチナの80%を占領(「分割案はパレスチナ側が拒否したから無効」)。
・ヨルダン川西岸はヨルダンが占領して併合。
・ガザ地区はエジプト軍が占領。
・10月になってパレスチナ人も独立を宣言し、ガザに全パレスチナ政府を樹立したが領土を確保できないまま消滅。
・パレスチナ人の多くが難民になってガザ地区や海外へ逃げ出した(パレスチナ難民)。

・1964年 独立のための武力を外国に頼った反省からパレスチナ人主導の独立運動を進めるべくパレスチナ解放機構を設立。
・その後の中東戦争で領土のすべてをイスラエルに占領されてしまうが、亡命国家のような形で存続。

・イスラエルは国内のパレスチナ人人口がユダヤ人の人口を上回ってしまうことを恐れて、1967年に占領した西岸やガザを自国領土して併合できず、
  中途半端な存在のまま支配し続けていたが、1987年から始まったパレスチナ民衆の蜂起に手を焼いたイスラエルとPLOとの交渉が始まり、
  1993年のオスロ合意に基づいてパレスチナ自治政府がスタート。


★ガザ地区

・パレスチナ自治政府における行政区画のひとつ。
・古代エジプト(紀元前3000年)→ペリシテ人(紀元前1200年)このころから「ペリシテ人の土地」=「パレスチナ」と呼ばれる→エジプト→アッシリア→
  バビロニア→マケドニア→ローマ→東ローマ帝国→イスラム帝国→エルサレム王国(十字軍)→マムルーク朝→オスマン帝国 と続く。
  第一次世界大戦においてイギリスが占領、国際連盟の承認の元、委任統治領となる。

・1948年 イスラエルが独立し、第一次中東戦争勃発。ユダヤ人国家建国に伴い多数の難民が発生。
  (現在のガザ地区住民はこのときに発生したパレスチナ難民及びその子孫)
・最終的にエジプトが占領。1967年 第三次中東戦争においてイスラエルが占領。

・1993年 中東和平「オスロ合意」により、パレスチナ自治政府の統治下に。
・以降、現在まで自治政府が統治、治安は自治政府が握っているが、航空管制権と沿岸航行権はイスラエルが保持。

・自治政府発足後も、ガザ地区に居住するイスラエル人保護のためイスラエル軍が駐留し、しばしば空爆をしていた。
・イスラエルは、2005年8月までにガザ地区内にあるすべてのイスラエル人入植地を撤去し、全部隊を撤退させた。
・2005年、過激派ハマースが選挙で勝利し、自治政府の与党の座に。イスラエルは態度を硬化。
・現在も空爆は散発的に行われている。

・検問所はエジプトとイスラエルが管理。ガザ地区は事実上イスラエルに封鎖されている。
・住民は原則、地区から出ることは出来ない。

★パレスチナ自治政府

・1994年 パレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルによる「オスロ合意」の結果設立。
・発足当初はPLOの主流派で、アラファト率いる対イスラエル穏健派ファタハが政権を運営。
・縁故採用や汚職が相次いだことで徐々に支持を失った。
・2006年 2回目の総選挙では強硬派のハマースが与党となった。
・2006年 ガザ地区でファタハとハマースの武装組織が衝突、ハマースはガザ地区を武力制圧。
・ハマース率いるガザ地区とファタハ率いるヨルダン川西岸地区が分裂状態となっている。
・現在は「暫定」自治政府という呼称だが、将来的にパレスチナ国家の元となることが暗黙の了解となっている。
・日本はパレスチナ自治政府を「パレスチナ人を代表する組織」として認めているが、独立国家としては見ていない。

・当初はPLO=パレスチナ自治政府だったが、現在自治政府を支配しているハマースはPLOに加盟していないので、現在ではイコールとはなっていない。

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