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水底の民

福井県大野郡和泉村 古くから河童に縁のある村で、いまでも河童から製法を教わった傷薬を作る家があるという。 ある夜のこと、10人以上の村人が河童の声を聞いた。 「川の水を替えてくれ、水がおとろしい」 河童はこう訴えた。 村人は村に流れる九頭竜川の様子を見に行った。 いつもと変わらず青く澄んで流れている。 ところが河童はその後も 「たのむたのむ」 「もう住んで居れん」 「あの川の水はお前さんらにもようないはずじゃ」 と訴える。 しばらくのち、大雨の日に河童たちはよろよろとよろけながら山の奥に立ち去ったという。 それから2年後、和泉村の村長が県から呼び出され、九頭竜川のカドミウム汚染を告知された。 県は川の上流の鉱山の汚水処理が故障しており、 この数年鉱毒が流れ出していたと説明し、汚染された作物を補償すると申し出た。 村人は今更ながらに河童に申し訳なく思い、山に登った。 「お前らのおかげで助かった。ありがとうなあ」 すると霧の奥からかすかに聞こえる声が答えた。 「百年もしたら戻っていくさかい、それまで川をきれいにしておいてくれえ」 それ以来、村人は村をあげて水質改善に取り組み続けている。

鬼、もしくは山姥、山の民

・かつて、技術がまだ普遍的な知識として存在していなかった時代。   技術者は日常からかけ離れた存在として 認識された。   そもそも、姿形が人間だからといって、自分の仲間とは認識されることも少なかった時代のこと、   技術者は「人外の物」として恐れられた。 ・時がたち、徐々に技術が知識体系として整備され「学ぶ」ことが可能になるにつれ、技術者を包んでいた「ベール」   がほどけ始める。彼らは山を下り、里に入り、人と交わるようになる。 ・このとき、彼らが纏っていた「ベール」はどうなるか。   技術が知識として認識されるようになり、いつしか 過去の遺物として風化していくものもあっただろう。   けれどなかには、ベール自体が独立して言い伝えや民話、 童歌のなかに存在し続けることもあっただろう。 ・かつて技術者がまとい、彼らが歴史の中に身を投じる際に脱ぎ捨てた「ベール」、これもまた鬼のルーツではなかったか。 ・鉱脈を求めて常に山をわたりあるき、砂鉄を得るために岩肌を削り川へ流し、時に地の底へ通じる坑道を作る「山の民」   平地で農耕を営む者たちとの間で、恐れから、或いは水や山の資源を巡ってか、争いがあったことは想像に難くない。 ・昼夜無く火を使い、一所にとどまらず、山の木を刈り尽くし、川の水を汚す。時には平地に下り、山では手に入らぬ作物   や、時には女性や子供も攫ったりしたかもしれない。   平地の民が知らぬ神に祈りを捧げ、供物を供え、高温の火を扱うために片目片腕の障害、たたらの踏みすぎで片足を失う   ことすらあっただろう。   そんな「山の民」は、平地の民からみれば「得体の知れない異形の集団」であり、そのなかに「鬼」の原型を見たかもしれない。 ・製鉄の際にでるスラグ(鉱滓あるいは金屎)はかつて「堕胎薬」として用いられた。下界との交流で「生まれてはいけな   い子供」が出来たとき、それを処理したかもしれない。彼らが去った後に胎児の骨が見つかれば「人食い」の伝承もここ   につながるかもしれない。(→黒塚の鬼婆) ・処理をしたのは女性だったかもしれない。鉱物を求め山を駆ける男たちに従い、医師或いは呪い師としての役割を担った   女性がいたか

ノーライフキングとしての真祖

不死。人類が求め続けてきた夢の一つだ。 ノーライフキングとは、直訳するならば「不死者たち、つまりアンデッドたちの王」という意味になる。 アンデッド【死に損ない】には、有名なところでハイチのブードゥー教におけるゾンビ、アラビアの砂漠を彷徨い墓所を暴いては死体を貪るグール、中国の食人鬼キョンシー、エジプトのマミー、スカンジナビア半島の伝承に登場するワイトである。 これらにはいずれも共通の特徴がある。それは、なんらかの論理宗教によって「他人にある程度操られる」ことだ。 ノーライフキングはここが決定的に違う。ノーライフキングは「自分の意志で」アンデッドになったものたちであり、こちらの代表は言わずと知れたヴァンパイア、ヨーロッパの首なし騎士デュラハン、最高の奥義を極めた魔術師や聖職者が最後に行き着くリッチーなどがある。 さて、今回問題としたいのは「真祖」と呼ばれる存在だ。 ヴァンパイアに襲われ、噛まれたものはヴァンパイアになる。すでに死んだ死体であるヴァンパイアが爆発的に個体数を増やす理由はこれである。一度始まった吸血鬼禍はほとんど手が付けられない。人間が使う魔術の大半を無効化し、その虚な魂や強靭な肉体は精神及び物理攻撃を受け付けず、病気にかからず、傷は超速回復する、霧や狼や蝙蝠の大群に変化する事ができ、その上自動車を素手で引き裂くほどの怪力を備えた怪物である。 だが、弱点は多い。 まず日光。もろに浴びれば一瞬で灰の塊になる。流れる水は越えられず、心臓にバラの根で作られた杭を打ち込まれると滅びる。キリスト教のロザリオかどうかは無関係に十字状の物体について極度の恐怖を抱き動けなくなる、触れると火傷する。ニンニクなどの香草が苦手で、聖水で火傷し、聖書の音読を聴くと苦しみ、聖書のページに囲まれると踏み越える事ができず、鏡には映らない為正体を見破るのは容易い。招き入れられなければ他人の家に侵入することはできないし、銀の弾丸を撃ち込まれたり、燃やされたり、首を切り落とされれば動けなくなり無効化される。その上、眠る時はヴァンパイアとして生まれた場所の土の上で眠らなければ力が衰えていく。なにより、親ヴァンパイアが倒されれば子ヴァンパイアは消滅する。 ヴァンパイアはヴァンパイアに噛まれて増殖する。では最初の一人は?

不遇なアブラハムの宗教、イエスの闇、そして真の信仰とは

ユダヤ、キリスト、イスラムに代表されるアブラハムの宗教は、基本的に「世界にはなぜこんなにも理不尽が溢れ、我々はなぜこんなにも不幸なのか」を説明する宗教で、要するに負け犬の宗教なのだと思う。 こんなことを言うと、後からいろいろな人から怒られそうなので、ここからは名詞をできるだけ控えて記述する。 ようするにすべての不幸や理不尽は神の試練であり、神には試練を与える権利があり、その意図は人間には推し量れないということらしい。 アブラハムの宗教は本当に不幸な宗教で、自分自身の聖典の中で崇める神様に意地悪されまくりで、なかには自分の息子を生贄に捧げさせられる人もいる。 人類最初の殺人は神様の意地悪が原因の兄弟げんかで、そのあと天使が原因で神様に洪水で滅ぼされ、一致団結して塔を作ったら言語を乱され、死んだら地獄に落とされまくる。 仏教の輪廻思想のような生まれ変わりなどのチャンスはいっさい無く、そもそも紀元前に死んでいれば、天国にも地獄にも行けず辺獄に放り出されて永遠に救いはない。 洗礼を受けていても、死んだあとの救いは神の国が到来するまで放置され、しかも聖典ではすぐ救いに来ると約束しておきながら、かれこれ二千年来ていない。 これでは すぐ来る詐欺である。 神の 国到来直前では世界中で天使による大虐殺が行われる予定で、そのあと生き残るのは十四万四千人の男(童貞) のみ。 なんでこんなことになってしまったのか。 アブラハムの宗教の歴史は苦難の歴史だった。 ローマ帝国初期の段階では、現代において最もでかい面をしている宗教もめちゃめちゃ迫害され、捕まってライオンをけしかけられたりタールを全身に塗られて火をつけられたりしている。 のちに聖典の書き方をうまく調整することによって権力に取り入ったので、一転当時最大の国家の主教となれたが、今度はそれが原因で、 二千年前の救世主騒動の際の対応にしくじった三つのうちの最も古い宗教が救世主を殺したと誤解されて迫害され、千年以上迫害され続けた挙句、先の大戦ではチョビヒゲに数百万人単位で虐殺されてしまった。 そのでかい面している宗教の救世主騒動。その主役である例の彼も、実は闇が深い。 彼は無実の罪で死刑にならなければならなかった。それも身内の罪か裏切りによって。