最悪の魔剣

その剣には何の謂れもなく、魔力もなく、金属ではなく木から削り出され、刃さえ碌になかった。

神話の中で用いられたのはただの一度。けれど、そのひと振りでその神話世界を破壊してしまった。神話世界において有り得ないほど無能力でありながら、その影響力は計り知れないものがあった。

その剣の名はミストルテイン。北欧神話世界のすべてを滅ぼした神殺しの魔剣である。


すべては太陽神バルドルの悪夢からはじまる。美貌と才能に恵まれ、誰もに愛されたバルドルだったが、ある時から悪夢にさいなまれるようになった。これを心配した母神フリッグは生物無生物を問わず世界中に存在するすべてのものに、「息子バルドルを傷つけない」誓いを立てさせる。このため、いかなるものもバルドルに傷をつけることはできなくなった。ところが、世界の端に生えていたヤドリギの新芽だけは、若すぎてその必要がないという理由で誓いを立てていなかった。

こうして無敵の存在になったバルドルに、ほかの神々はたわむれにいろいろなものを投げつけて遊び、それらがバルドルに傷一つつけられないことを喜んだ。それは太陽が永久不滅であることのあかしだった。

しかし、これを面白く思わない悪神ロキは、誓いを立てていないヤドリギの話を聞きつけ、その枝から剣を作り出した。ミストルテインと名付けられたその剣は、盲目ゆえに遊びの輪から外れていたバルドルの兄弟神ヘズをたぶらかし、バルドルめがけて投げさせる。バルドルは兄弟神の投げたミストルテインに当たって命を落としてしまう。

これを嘆いたフリッグは、死の世界ヘルヘイムに赴き、死の女王ヘルにバルドルの復活を願い出る。ヘルは「全世界のものがバルドルのために涙を流すのであれば」という条件で復活を許可する。

事実、全世界のすべてのものがバルドルのために泣いた。ただ一人、女巨人セックを除いては。このため、バルドルの死は決定的なものとなってしまった。のちにこの女巨人セックはロキが変身した姿であったことが判明し、彼は神々に捕まり「洞窟に縛り付けられ、永遠に毒蛇の毒を浴び続ける」という厳しい罰を受けることになる。彼が苦しみから身をよじるために地震は起こるとされている。

かねて、最高神オーディンは巫女から予言を受けていた。
曰く、「息子は息子に殺され、神々が復讐するが時遅く、太陽は徐々に力を失い、世界は黄昏の中混乱と闇に沈む」と。
巫女は相手がオーディンだと知ると、早く戻って準備を始めるよう助言した。オーディンはこのときから配下の女戦士ヴァルキュリアを地上に派遣し、勇敢な人間の魂を戦力として天界に召し上げ始める。

バルドルが死んだことにより太陽はその本来の力を失い、世界は均衡を崩し始め、やがて来る最終戦争を避けることはできなくなってしまった。それゆえにこの戦争のことを「神々の黄昏=ラグナロク」と呼ぶ。

ラグナロクにおいて、太陽は完全に力を失い、世界は黄昏に包まれ、あらゆる鍵、牢屋、楔、鎖、封印が解き放たれる。

罰を受けていたロキは牢屋から脱獄し、巨人たちを率いて攻めてくる。押さえつけられ、世界の礎となっていた大蛇ヨルムンガンドもまた封印から解放され世界を飲み込まんととぐろを巻き始める。邪悪な巨大狼フェンリルも、決して千切れないとされた魔法の鎖グレイプニルが力を失ったことで地の底から解き放たれた。

世界は大混乱に陥った。
最高神オーディンは善戦かなわずフェンリルに飲み込まれ、最強の雷神トールも戦槌ミョルニルをふるってヨルムンガンドを打ち倒すが、最後に受けた毒によって倒れる。人間の祖である光の神ヘイムダルはロキを見事に打ち破ったが、その時の傷がもとで命を落とす。

そしてついに、世界の始まりよりも古い種族、炎の巨人たちが炎の国ムスペルスヘイムから世界を焼き尽くさんと迫りつつあった。

炎の巨人たちが渡ってくる橋では、戦と勝利の神フレイが巨人たちを食い止めていたが、フレイは巨人に対して必殺の効果を持つ勝利の剣をある事情から手放しており、彼の手にあるのは鹿の角だけであった。それでも彼は、彼以外の神々がすべて倒れるまで炎の巨人たちを足止めし、最終的に炎の巨人の王たるスルトの持つ炎の剣レーヴァテインの前に敗れ去る。

こうして世界は、レーヴァテインの一振りにより世界樹ごと焼き尽くされ灰燼と化した。そして、ふたたび命が芽吹くまで眠りにつくこととなったのである。伝説によれば、最初に目覚めるのは太陽神バルドルとその兄弟神ヘズであり、兄弟は力を合わせて世界を再興するとされている。

神話世界最悪の魔剣は魔法の剣ではなかったが、「ほかのすべてのものがやっていたことを唯一やっていなかった」ために、他のどんな魔剣でもなしえない「神殺し」という特性を得たのだ。実に興味深い話である。

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