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高速増殖炉

・高速の中性子を使って、「燃えない」ウラン238を「燃える」プルトニウム239に変化させる ・天然ウランの99.3%は「燃えない」ウラン239(「燃える」ウランはウラン235) ・ウラン238は中性子を吸収することでプルトニウム239に変化する ・プルトニウム239(およびウラン235)は中性子をぶつけると核分裂し、その際に中性子が飛び出す ・最初にぶつける中性子のスピードが速いほど、多くの中性子が飛び出す ・通常の「軽水炉」でも同様の生成が起こるが、中性子のスピードが遅いので生み出されるプルトニウムは多くない  (これが核爆弾の原料となりうるため、原子力発電所は世界的に監視対象となっている) ・プルトニウム核分裂→一次系金属ナトリウムに熱を移す→中間熱交換機で2次系金属ナトリウムに熱を移す   →蒸気発生器で水を沸騰→蒸気でタービンを回す ・冷却材に水を使うと中性子が減速するので、熱を伝えやすい性質のナトリウムを利用 ・核分裂そのものはスピードの遅い中性子の方が効率よく進む ・核分裂の速度が軽水炉の250倍(制御が難しく、トラブルが起こると一瞬で暴走する) ・ナトリウムは空気や水やコンクリに触れると爆発する ・ナトリウムは不透明なので検査や点検が手探りになる ・プルトニウムの半減期は2万4千年 ・長崎原爆の原料で、5kgで作成された(もんじゅの量は1.4トン) ・そもそもプルトニウムは自然界にほとんど存在せず、他の原子炉からでた使用済み燃料を「再処理工場」で加工し取り出し、輸送しなければならない ・ナトリウムは水と比べて高温で運転されるため、熱による劣化が起こりやすい ・熱膨張も大きいので水管などの構造が複雑となり、地震に弱くなる

混乱、そして言語の相違についての解説

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・バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。 「もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム[2]を高く上げ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた[3]。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった」 原初史といわれ、史実性が疑わしいアブラハム以前の創世記の物語の中で、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられている。同時に「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について述べ、人類の科学技術の過信への神の戒めについて語ったという解釈もある。 ・「バラル」はヘブライ語の「バビロン」。またアッカド語では「神々の門(バブ・イリ)」を意味する。 ・古代バビロンには実際に「ジッグラト」と呼ばれる巨大な塔がそびえていた。古代イスラエル人はこれに対する批判としてこの物語を紡いだと考えられる。絶大な権力と文明を誇るバビロンは、世界の中心として人々を統治するかに見えて、実は「混乱」の源にほかならないと。 ・「創世記」には、塔が崩された記述はないため、建設途中で放棄されたものと考えられる。 ・建設を指導した「ニムロデ王(絵の下に立つ人物)」は、ノアの息子。

イスラム教はこう考える

豚は食べるな。不潔だし牛や羊と違って寄生虫がいるぞ。 酒は飲むな。酔っ払って砂漠で迷子になったら凍死するぞ。 異教徒からは税金を取れ。説得は無駄だし儲かるぞ。 女は家から出るな。着飾るな。盗賊に攫われるぞ。 神様に子供なんているか。神様はお一人だけだ。 だからイエスは神の子じゃない。でも偉いやつだ。敬うぞ。 だれも神の代弁者になんてなれない。だからテロリストでも破門はできない。 勤勉であれ。そしたら儲かるだろ。 儲かるばかりだったら嫌味だろ。だから2.5%ぐらい喜捨しておけ。 一生に一度ぐらいはメッカに行っておけ。でも余裕がなければいいぞ。 ジハードをしろ。戦争って意味じゃないぞ。不正と腐敗に立ち向かえ。

アメリカの銃事情

アメリカ人が銃を支持する理由は、歴史的に政府に対し強い不信感があるから。 権利は市民が勝ち取るものであり、いざとなれば政府と戦わないといけない時があると考えている。 政府が横暴だったのは遥かに昔だが、アメリカ人は政府が永遠におとなしいとは絶対に思わない。 政府が二度と市民の権利を脅かさないために、政府を市民がよりよく監視するために銃を持つ。  銃殺事件のほとんどは違法に入手された銃によるもので、合法的に入手された銃による事件・事故はとてもわずかである。 アメリカでは今更銃規制しても悪人が銃を入手するのを止められない状況があり、仕方なく善良な市民に銃所持を認めて悪人を抑止している実情もある。

いかなる生者でもなかった死者

彼は越してきたばかりの街で、家に向かって車を運転していた。 突然に視界の外から転がってくるボール。 それを追いかけ飛び出すちいさな影。 急ブレーキをかけるも、直前まで見えていたはずの影とボールはどこにもいない。 ふと気がつくと、傍の電柱の根元には花束が備えられていた。 後日、同じ場所を訪れた彼は、花束を備えている女性と出会う。 聞けば、十年ほど前、ボールを追いかけて飛び出した女児が車に轢かれて亡くなったのだそうだ。 それ以来、近所の方が代わる代わる花を備えているとのこと。 何の関係もないはずの彼だったが、その話に興味を持った。 何より見てしまったことに因縁を感じたのだ。 過去の記事をネットのデータベースで検索してみる。 妙だった。 その交差点での交通事故など記事になっていない。 新聞の地方紙にも載っていなかった。 もう一度現場に出向いた彼は、花を手向ける別の人物に出会う。 その人物は事故の後越してきたのだが、事故のことを耳にして気の毒に思い、以来花を備えているという。 事故のことを誰に聞いたかを尋ね、その前に花を手向けていた人物に話を聞いていくうちに、実は事件の詳細を知る人物が一人もいないことに気づく。 そして、ついに最初に花を手向けたと思われる女性にたどり着いた。 30歳ほどと思われる彼女に、自分が幽霊らしきものを見てしまったこと、その後人づてに調べていることを話し、話を聞きたいと尋ねた。 彼女はなぜか最初ひどく驚き、続けて拒否の様子を示した。 宥めすかして話を聞いてみた結果は、驚くべきものだった。 「実験だったんです」 当時、大学で心理学を専攻していた彼女は、道端で度々目にする交通事故者への花束を手向けているのがどんな人で、直接関係のない人でも手向けているのかを調べていた。 そこで、「実際には交通事故が起こっていない場所に花を置いたら、無関係の人は花を備えつづけるだろうか」という実験を行なった。 最初の半年は何の変化もなかった。なんでもない場所に花を備える彼女を、近所の人が変な目で見ていたぐらいだった。だが、ある日いつものように花を持って訪れると、見覚えのない花が備えてあった。 実験は成功した。 事故など起こっていないのに、花束を供えた人物が現れたのだ。 この花を備えた人はどのような