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子供たちへ

世界で一番知っている人だから、世界で一番好きにもなるし、世界で一番嫌いにもなれる。   出会いを求めるな。選んだ、選ばれた奇跡を信じろ。 金は空気と同じだ。 両方とも生きるために必要だが、空気を多く吸っているからといって偉いとは言われない。 本当に金に困っている人間は犯罪など犯さない。 真っ当に生きようとしたからこそ、ホームレスになるしかなかった。 犯罪を犯すのは食うに困らない遊び金ほしさの者が大半だ。 たとえ奴隷でも、満足しているものは自由だ。 たとえ富豪でも、満足していないものは不自由だ。 まっすぐな道と回り道なら、回り道を行け。 回り道をしない奴は抜け道を知らない。 越えられない壁を越えようとして一生を終える。 常識がないのが罪なのではない。 ましてや知らないことが罪なのではない。 常識を、いかにも知っているのが当然のように語ることが罪だ。 そうすることで、伸びかけた芽を摘んでしまうことになる。 子供のすべては、純粋無垢な疑問から始まるのだから。 文化も歴史も制度も法律もすべて子供を育てるために存在している。 そう、世界のすべては子供のためにある。 そして子供でなくなった大人にはそれを維持する義務がある。 本当にいい刀とは鞘に入っているものだ。 人生は短い、他人を気にするな。 タイムマシンは必要ない。 過去へは記憶が、未来へは希望が連れて行ってくれる。 結婚とは魔法の箱のようなものだ。 外にいるものは中に入りたがり、中にいるものは外に出たがる。 道を知っているのと歩くのは違う。(モーフィアス《マトリックス》) 体重が重いと足跡も深くなる。 恋も同じだ。愛するほど傷が深い。 だれだろうといつだろうとどこだろうと、転ぶときは転ぶ。 経験を積んでも、転ぶときは転ぶ。 恥じることはない。 起きあがれるのなら。 敵を許せ。だが名前は覚えておけ。 アルコールではなにも解決しないが、心配するな。それが牛乳であったとしても解決するわけじゃない。 あらゆる事に言えることだが、綺麗に早く、そして音を立てるな。 学ぶべき事ではなく、学べることを学べ。 明日が来ることを、信じるな。 人を生き返らせるな。この世で一番重い罪だ。 特別な日があるのではなく、今日が特別な日

ホーキング放射

通常の空間で「対生成」が起こった場合、通常ならプランク時間内に「対消滅」する。 本来ならプラスマイナスゼロになるはずだが、事象の地平線付近で対生成が起こった場合、正か負の粒子のどちらかがブラックホール側に落ち込んでしまう可能性がある。 もし落ち込んだ粒子が「負の粒子」であった場合、それを取り込んだブラックホールは取り込んだ負の粒子分だけ自分自身の正のエネルギーを失う。    対して「対生成」で発生した「正のエネルギー」粒子は、事象の地平線を越えていない場所で発生したので、有限のエネルギーで脱出できる可能性が残されるため、十分なエネルギー量を持っている粒子は放出されると考えられる。 これを外から見ると「ブラックホールがエネルギーを放出しながら縮んでいる」ように観測される。 これを「ホーキング放射」と呼ぶ。 ホーキング放射を利用してエネルギーを得るエンジンのことを縮退炉という。 落ち込んだ負のエネルギーと同量の物質をブラックホールに投入することにより、ブラックホールが蒸発しきってしまうことを防ぎ、対生成で発生する正のエネルギーを回収できる。 ブラックホールの生成、維持、エネルギーの回収方法など技術的な問題に阻まれ、実用化はまったくの夢物語であるが、理論上作成が可能な動力機関で、熱力学第二法則に矛盾しない熱学的動力機関としては最も効率が良い。

死刑制度

死刑を支持するか、と問われれば、いったい誰が人の死を望んだりするだろう。 しかし、もし自分の愛する人が、理不尽な理由で残虐な方法で殺された場合、犯人の死を望むか、と言われれば望むかもしれない。 遺族が「極刑を望みます」と言い、死刑判決が出た時に、遺影にそう報告できてよかったと、涙を流す気持ちを想像してみる。 唯一、死刑執行を待ってほしい、と思うとすれば、それは1%でも冤罪の可能性がある時だろう。 しかし「冤罪を無くす」ことと「死刑制度の是非」を同じ土俵で考えるべきなのか、分からない。 良い悪いは別にして、「生き恥をさらす」という言葉があり、時に生きることより死の方が楽だ、美しい、とする考えがある。 病気や不慮の事故で「苦しまずに死ねた」ことは遺族にとって慰めだ。 傷病者が覚悟の上で迎える死ならば、遺族はまだしも救われるだろう。 遺体の損傷が少なく丁寧に葬儀を執り行えることも遺族にとっては大切なことだ。 死そのものは悪でも懲罰でもない。重要なのはその迎え方と迎えた後だ。 日本人が臓器移植にいまだ強い抵抗があるのは、死後の尊厳の問題もある。 死の迎え方が重要であり、すなわち懲罰の実体であるのなら、死刑囚に「最後の晩餐」を与えるのは間違っている。 死刑囚が、被害者に最後の晩餐を与えたのならともかく。 死刑は「苦しみが継続しない」刑罰である。死の迎え方を懲罰としなければ意味がない。

大臣と議員

2020年のコロナ禍(その前からかも)において国務大臣の能力の低さが際立って見えるようになった。 そもそも国務大臣、たとえばIT担当大臣が78歳でUSBの意味を理解できていなかったりするとかなり不安になってしまう。 台湾のIT担当相は38歳と聞くからかなりうらやましい。 こんなことではIT化など進むはずもなく、世界から取り残されるのも納得。 どうしてこうなるのかを考えてみた。 日本の国務大臣は通常16人だが、特別に必要のある場合は3人追加し19人任命できる(2020年4月時点)。 問題は、日本国憲法により「国務大臣の過半数は国会議員から選出されなければならない」とされていることだと思う。 よその国は知らないが、日本の国会議員になるのには特別な資格は必要なく、国民の支持があれば小卒でもなれる。小卒が悪いとは言わないが。 しかも別の文章で説明した通り、その大半が既得権益を背負った世襲議員であるため、専門家である可能性は低い。 そんな中から行政府のトップである国務大臣を選ぶのだから、質の低下は避けられまい。 では、憲法はなぜそんな縛りを設けたのか。 どうやらこれには戦前戦中の内閣の暴走がかかわっているらしい。 つまり、国務大臣を国会議員以外の民間から選んでくると、そこに「国民の民意」が反映されず、内閣総理大臣の内閣私物化を招いてしまうと考えたようだ。まあ考えてみればそれも一理ある。特に今の日本国憲法は戦後諸外国の影響下でひねり出されたものだから、二度と戦争を起こさないようにしたいのが心情だっただろう。 個人的に言わせてもらえれば、憲法に定められているのは「過半数」なのだから、19人中の9人は民間の専門家を入れてほしい。とくにIT担当相などの専門性が問われる分野は、その道の専門家がトップにいなければ現場の苦労が減らないだろう。国務大臣が国会議員の「上がり」のような扱いを受けている間は日本の停滞は続くと思われる。

違うの、そうじゃないの

戦争にいいも悪いもないの。いい戦争なんてないの。外交の失敗の結果が戦争なの。もう失敗してるの。戦争は外交上の失敗の後始末のための行動なの。交通事故で大破した車をスクラップにするのと同じなの。 原爆がいけないというのは、それとは無関係なの。毒ガスが悪であることは誰にでもわかる。音もなく、目に見えず、知らないうちに殺される。敵も味方もお構いなく。 前回の原爆は、それがもたらす結果を知らなかったで済ませていいの。だってあれは戦争だったから。謝る必要はないの。でも、原爆が悪いものだってわかったでしょ?そのために爆心地の広島に放射線研究所まで作って、何度も何度も核実験をして、何十年も原爆がもたらす影響を研究してきたのでしょ?今後使わないためにそれを生かして欲しいの。 世界で唯一、原爆を使用した国として、せめて態度だけでも示して欲しいの。最小でも最大でも無差別大量殺戮しかできないようなものを自国内に大量に持ってるなんて、正気の沙汰じゃ無いと思うの。 原爆を落としたことを責めたりしない。謝れなんて言わない。だから、せめて二度と使わないように努力して欲しいの。もう充分殺したじゃない。一発で14万人。御立派。まだ殺し足りない?あとは博物館に殻だけ展示して、ラベルを貼ってもう終わりにしようよ。 核兵器を作れば作るほど、盗まれる可能性は増えるんだよ?これはわかるよね?盗むのは核兵器を作る技術を持たない連中。いわゆるテロリストだよ?あなたと違って、彼らが核兵器の使用をためらう理由は、私には思いつかない。だって彼らに報復しようにも、どこにいるかわからないでしょ?また難癖つけてよその国に戦争ふっかける?彼らは痛くも痒くもないよ? 核兵器だけとは限らない。発電所のウランやプルトニウムだってそう。たとえば「汚い爆弾」、所謂ダーティ・ボムは、ダイナマイトやTNTを使ってウランやプルトニウムなどの放射性物質ををばら撒く兵器だけど、それだってわずかな量で数千人を即死させ、都市を死の地に変える。たった数キロの金属を持っているだけのテロリストがワシントンに入り込むことを阻止できる?彼らは自爆することも辞さないから、自分が被爆しようと爆死しようとお構いなしだよ?。例えばメキシコとの国境。全部に目を光らせておける?一人も通さないと断言できる? 行動して。僕らは世界で唯一核攻撃を受けた

ジャンプの主人公

冴羽遼←憧れる。生まれて間も無く乗っていた飛行機が墜落。かろうじて生き残ったものの、両親死亡の上ゲリラに拾われ戦闘機械に仕立て上げられる。生まれも名前も知らず、文字どうりの天涯孤独のなか、立て続けに襲う悲劇の運命にも挫けず、軽いキャラの仮面の下に愚直なまでにぶれない愛を隠して生きる男の中の男。その愛は少女から老婆まであらゆる女性の心を解す。軽いキャラを守るために相棒の留守中に急いで筋トレするなど人の見えないところで努力するシャイボーイ。通行人を巻き込まないために自分の掌をクッション替わりに銃を放ち、熱があれば氷を口に含んで仕事に出かけ、悪に堕ち愛する人を殺そうとするかつての育ての親を前に涙を一滴だけ流す、まさにやせ我慢は男の美学。殺人者ではあるが命の重さを深く理解する。同じ殺し屋でも、とりあえず皆殺しの臆病者ゴルゴより1000倍はかっこいい。ゆえに少々のセクハラは赦される。 前田慶次←粋。かぶき者。血筋家柄才能の恩恵と長年の訓練による戦国時代最強クラスの能力を持ちながらもけして驕らず権力に染まらず、他者の弱さや立場を理解し思いやり時に厳しく時に優しく接する。その戦いはまさに鬼神、戦国無双地獄モード。その太刀筋に込められた力とスピードに全てをかけ、朱塗りの槍一本で数万の軍勢に立ち向かう。筋肉バカかと思えば筆や詩歌や礼儀作法、最新の流行である茶の湯や風流に秀でるなど、その体格風貌からは想像もできない繊細な精神を内に秘める。その姿はまさに文武両道。強きをくじき弱きを助ける。金で動かず、義理人情に極めて厚く、友のために命を投げ捨て、己の信念と筋を通し、そのためには天下人を敵に回すことも辞さない。自分の信念の糸に自分の心臓を捧げる、けして真似はできないが間違いなく最高の男の生き様。戦国時代ゆえに生き方があまりにも男前で、北斗の拳と同様の理由で今のご時世ではジャンプには出て来れない。生まれつき虎よりも強いので二枚目。 大魔道士ポップ←努力は才能を凌駕する生き証人。作中では明記されないが、実は物語の最初から最後まで途切れることなく登場している二人の主人公格の一人。うだつの上がらない鍛冶屋の息子家出中という雑魚中の雑魚ポジションから想像もできないほどの成長を遂げ、最初から最後まで勇者を支え続け、時に味方をも欺き、時にはその魂をかけて彼を守り、勇者ゆえの