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西暦536年

  その年、ヨーロッパ、中東、アジアの一部で謎の霧が垂れ込め、18ヶ月に渡って昼夜を問わずに暗闇にしてしまった。 「1年中、まるで月のように太陽の光から輝きが失われた」と東ローマ帝国の歴史家プロコピウスは記している。  536年の夏の気温は1.5~2.5度下がり、過去2300年間で最も寒い10年が始まった。  中国では夏に雪が降り、作物は枯れ、餓死者が出た。「降ってきた黄色い塵を手ですくい上げることができた」と『南史』に記されている。さらに歴史書に「南方で大きな雷が二度鳴った」と記載されている。普通の雷をわざわざ歴史書に書かないであろうから、それはよほど大きな雷鳴が響き渡ったに違いない。  朝鮮半島では雷が鳴り、疫病が大流行した。  アイルランドには、536~539年にかけて不作が続いたという記録がある。  さらに541年、エジプトにあるローマ帝国の港町ペルシウムを腺ペストが襲った。 「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれるようになったそれは、とんでもない勢い蔓延し、東ローマ帝国の3~2人に1人の命を奪い、帝国の崩壊を早めた。  まだ人類が到達していなかった南米においても、半化石化した樹木の年輪から、この時代の生長が極端に悪い事が確認されている。 ローマに残る記録によれば、空中でライオンやドラゴンが飛び交うのが目撃され、昼間から雷鳴が轟き、大粒の雹が降り注いだ。  日照時間の減少、樹木の生長不良、異常気象。 推測されるのは、世界規模の戦争、それも粉塵が上空を覆い隠すほどの大戦争。  この頃を境に、歴史書から神々の姿が消え失せている。  どこに行ってしまったのか?  結論から言えば、戦いの末に力を失い、歴史の表舞台から退場せざるをえなくなってしまったのだ。 数々の神話聖典を紐解くに、この頃に起こったであろう大異変は、新約聖書に予言された「神の国の降臨」であると推測される。 新約聖書によれば、それは自然界の壊滅的な大異変による人口減少、人類同士の戦争、そして最終的に天使の大軍勢による人類虐殺、その後降臨する神の国に入場できるのはほんの一握りのユダヤ人、それも少年のみ。 当然、世界中の神々や精霊、妖怪たちが黙っているわけもなく、神の計画を阻止

神話の暗示 その3

人間というのは面白いもので、遠く離れた民族の神話の中に共通点がいくつも見つかる事がよくある。世界は一度大洪水で滅びたとか、海に沈んだ大陸があったとか、英雄は一度死に、国家の危機に再び蘇るとか、世界の存続のために生贄を捧げ続ける必要があるとか。 大抵の場合、それは人類が共通の場所から長い旅に出発して、最終的に現在の位置に落ち着いたため、基礎となる神話があったせいだと思われる。 一つ、面白い符号を紹介したい。 前回もお話しさせてもらったが、イザナギは死んでしまった妻であるイザナミを迎えに黄泉の国(根の国)まで降りていく。そこで一悶着あって、結局妻を連れ戻すことを諦めて生者の世界に逃げ帰る羽目になるわけだが、ここで追手を退けるためにイザナギは身に付けていた三種類の道具を使う。 一つ目は髪紐。投げるとブドウに変わり、追手はそれを貪り食って足を止めた。 二つ目は櫛。投げると竹の子が生えて来て、追手はそれを貪り食って足を止めた。 三つ目は黄泉の国の境に生えていた桃の実。投げると追手は恐れをなして逃げ帰った。 有名な国産み神話の最終章の場面だが、ここで着目したいのはイザナギが用いた道具だ。 髪紐、櫛、桃の実。 この三種類、実はヨーロッパに伝わる有名な民話に、同じような用いられ方で登場する。 一度目は色とりどりの髪紐で絞殺、二度目は魔法の櫛で呪殺、三度目は毒林檎で毒殺。 「白雪姫」である。 白雪姫が成立した時代がハッキリしない(民話を収集し紹介したグリム兄弟の初版は1810年)ため、どちらがどちらに影響したのかは分からないが、ここまで共通していると共通の何かがあったと考えるのが妥当だろう。少なくとも全くの偶然ではあるまい。 つまり、古代世界において以下のような呪術的な常識が広い範囲で共通してあったと推測できる。 紐、櫛、果実 = 死の世界へ追いやる、死者を生の世界から遠ざける呪術的道具 連絡手段の限られた古代世界において、これほどまでに似通った表現が使われる点については、「死への恐怖」「特別な道具(特に衣食住などの生死に関わらないような、それでいて特別な効果のあるもの、化粧道具など)に対する特別な想い」などが複雑に絡み

神話の暗示 その2

『古事記』においては、 伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)が 伊邪那美命 (いざなみのみこと)の居る 黄泉の国 から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに天照大神(あまてらすおおみかみ)、 右目から 月読命 (つくよみのみこと)、鼻から 建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)が生まれたとされている。 左目から「太陽神」、右目から「月神」ここまではなんとなくわかる。 だが須佐之男は? 須佐之男 は「荒ぶる神」神話でも暴れまわって様々な場面で面倒ごとを引き起こし、人死まで起こしている。最終的には日本神話最大の怪物を退治し、国津神たちの祖となるわけだが・・・。 太陽、月、続いて暴れ神? 暴れ神も、天空にまつわる神ではなかったのか? 天空で暴れ回り、災厄を振り撒き、最終的に地上に落下し破壊をもたらす。 彗星、隕石の類ではなかったか? 実は日本の神々の中に星の神は少ない。その中でも有名なのが「天津甕星(あまつみかほし)」もしくは「天香香背男(あまのかがせお)」である。全国の星神社で祀られている。天津国で最後までまつろわなかった神である。そういう意味でも須佐男によく似ている。まつろわなかった結果、落とされたのが 須佐之男 になったとも考えられる。

神話の暗示 その1

神話伝説と歴史民族は絡み合う綱のようなもので、双方が影響しあって成り立っている。その一例を紹介する。 日本書紀・第五段第十一の一書において、姉神であり日本神話最高神、天照大神から 保食神 (うけもちのかみ・食物の神)と対面するよう命令を受けた月夜見尊は、言いつけ通り保食神のもとに赴く。 そこで保食神はもてなしとして「口から」飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。 保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。 天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。 これは二つの寓意を含む神話である。 ①殺されて作物を生み出す食物神(大地母神が前身となっている事が多い)と、それを殺す月神(月齢を読み取り、農耕の時期を定める農業神)  =農業技術の発達による自然の征服過程、すなわち最終主体の生活から農業主体の定住型生活への移行を示す。 ②月神の「悪しき行い」と、「それにより月神を嫌う太陽神」  =日月分離、太陽と月が、共に天にあり輝きながらも交わらない理由付け。