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人間の定義についての考察

  ・記憶情報が人間だと考えた場合、更新されない記憶情報は?記述や書物は? ・死者の定義は?    生者の定義は?    死とは、脳死の時点?心臓死の時点?    脳死の時点だとすると、脳死判定する医師は生死を司る現代の神官か?    生死判定が、病院という密室の中で医師のみが実行を許される「秘密の儀式」となってしまわないか?     誰の目からも明らかな生死判定とは? ・「他人の臓器を移植してまで生き延びたい」とは、一体どういう意味なのか?    対象者にそうまでする価値があると、だれが決められるだろう? ・臓器移植がOKならば、脳死した人体をどのように利用しようと構わないのではないか? ・人工呼吸器を付けておけば、寿命まで持つ血液生産工場として機能しないか?    ・新鮮な臓器の貯蔵庫となってしまわないか? ・臓器移植がOKで、血液の生産機械として扱うのはNGな理由は?    ・脳死した人物の意志が確認できていれば、人体実験用の献体とするのはOKか?    ・脳死した女性から取り出した卵子はいったいどういう存在か? ・不健康な5人と健康な1人がいた場合、健康な1人を殺して5人を健康にするのは問題ないのか? ・人体は「部品」の集合体か? ・物事を難しく考えすぎなのだと思う。 ・だが、僕にわかるように説明できないということは、君も理解していないということではないか?

ルサンチマンと司牧者

  「高貴な者」は能動的な人間たちであり、行動することに幸福をみいだす者たちである。 これにたいして「無力な者、抑圧された者」は労働を強いられているために、休息や平和のうちに幸福をみいだすにすぎない。 彼らは受動的な人間である。 そして高貴な者たちを恨み、自分たちの境遇を恨むことしかできない。 怨恨(ルサンチマン)の感情で満たされた奴隷たちは、「毒を含み、敵意をもった感情で化膿している」のである。 こうした者たちは、境遇を変えるために行動することができない無力な者たちであるために、心の中で価値を逆転させるしかないのである。 そこで心の中でひそかにこう考える。 われわれは無力である、しかし無力であるということは行動しないことであり、他人を強制して働かせたりすることも、他人に暴力を行使することもないということである。 ということは、われわれは善人だということだ。 「善人とは暴力を加えない者であり、復讐は神にゆだねる者であり、われわれのように隠れている者であり、……われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである」。 こうして奴は善なる者となり、主は悪なる者となったのである。 司牧者の役割 しかしこれはただ心の中だけのことだった。 たんなる恨みの感情からの自己憐憫であり、自己欺瞞にすぎない。 しかしここでこの感情を理解し、これに働きかける人物が登場する。 これは奴のように受動的な人間ではなく、他者に働きかける能動的な人間であるから、もとは主の身分のものだったに違いないとニーチェは想定する。 この人物が、奴の受動的な怨恨のルサンチマンの感情に働きかけ、これを正当化することに成功するのである。 これがユダヤ教とキリスト教の司牧者である。 司牧者はまず自己に能動的に働きかける。 「ある種の食餌療法(肉食を禁止すること)、断食、性的な禁欲、〈荒野への〉逃避」などの禁欲的な理想を実行するのである。 この禁欲的な理想には、修道院における労働が含まれていたことは当然のことである。 やがて司牧者はこの理想にふさわしい人々をみいだす。 それが労働と禁欲を強いられている奴隷たちである。 司牧者は奴隷たちに話しかける。 「惨めな者たちだけが善き者である。貧しき者、無力な者、卑しき者だけが善き者である。苦悩する者、とぼしき者、病める者、醜き者だけが敬虔なる者であり、神を信じる者である。

マジックジョンソンの言葉

  もし、自分でなにかを成し遂げたかったら 出来なかった時に他人のせいにしないで 自分のせいにしなさい 多くの人が、君に「無理だよ」と言うだろう 彼らは、君に成功してほしくないんだ なぜなら、彼らは成功出来なかったから 途中で諦めてしまったから だから、君にもその夢を諦めてほしいんだ 不幸なひとは、不幸な人を友達にしたいんだ 決して諦めては駄目だ 自分のまわりをエネルギーであふれ しっかりした考え方を、持っている人でかためなさい 自分のまわりを野心であふれ プラス思考の人でかためなさい 近くに誰か憧れる人がいたら その人に、アドバイスを求めなさい 君の人生を、考えることが出来るのは君だけだ 君の夢がなんであれ、それに向かっていくんだ 何故なら、君は幸せになる為に生まれてきたんだ

ジョーク集

  信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せなことに似ている キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない もしユダヤ人が神を殺したと言うなら、ユダヤ人を崇拝するべきだ 妄想の妄は、女を亡くすと書きます この国の人はお金はありますが心が病んでます 腰は曲がっていないが根性は曲がっておる 返事をするからストーンヘンジ 呼べば答えるストーンヘンジ 落ちるかどうかについて考えると落ちなくなるわけではない 高所作業に適応できる人間というのは、つまるところ、「もし落ちたら」ということを想定しない人間のことである 「信者」という言葉は、合わさると「儲ける」という漢字になる。よく覚えておけ。 古代太陽神の祭日に薄暗い建物に集い、血と肉を象徴する食物を食べ、古代の拷問具に祈りを捧げる くう、知識だけは一万円じゃない一人前

カニバリズムのカテゴリー

  カニバリズム(人肉食)は大きく2つのカテゴリーに分けることができる。 1つがエンドカニバリズム(内食人)であり、部族や家族内の死者に敬意を表するため行うものである。例えばクールー病が蔓延したパプアニューギニアのフォレ族がこれを行っていた。クールー病の蔓延は、彼らが死者の脳まで食していたため起こったと考えられている。 もうひとつがエクソカニバリズム(外食人)と呼ばれ、命を盗んだり、敵を威圧したりする目的で外部の人間を食するものである。世界では今日でも行われており、例えばシリアの反政府軍司令官は敵兵士の内蔵を食べたことが報告されている。ほかにも2014年、中央アフリカ共和国の「マッド・ドッグ」という男は、殺された家族の復讐を遂げるために、犯人のイスラム教徒を殺害し、その足を食べたという。この地域では、敵の肉を食べると途方もない力を授かるという信仰があるそうだ。