いかなる生者でもなかった死者

彼は越してきたばかりの街で、家に向かって車を運転していた。
突然に視界の外から転がってくるボール。
それを追いかけ飛び出すちいさな影。

急ブレーキをかけるも、直前まで見えていたはずの影とボールはどこにもいない。
ふと気がつくと、傍の電柱の根元には花束が備えられていた。

後日、同じ場所を訪れた彼は、花束を備えている女性と出会う。
聞けば、十年ほど前、ボールを追いかけて飛び出した女児が車に轢かれて亡くなったのだそうだ。
それ以来、近所の方が代わる代わる花を備えているとのこと。

何の関係もないはずの彼だったが、その話に興味を持った。
何より見てしまったことに因縁を感じたのだ。
過去の記事をネットのデータベースで検索してみる。

妙だった。
その交差点での交通事故など記事になっていない。
新聞の地方紙にも載っていなかった。

もう一度現場に出向いた彼は、花を手向ける別の人物に出会う。
その人物は事故の後越してきたのだが、事故のことを耳にして気の毒に思い、以来花を備えているという。
事故のことを誰に聞いたかを尋ね、その前に花を手向けていた人物に話を聞いていくうちに、実は事件の詳細を知る人物が一人もいないことに気づく。

そして、ついに最初に花を手向けたと思われる女性にたどり着いた。
30歳ほどと思われる彼女に、自分が幽霊らしきものを見てしまったこと、その後人づてに調べていることを話し、話を聞きたいと尋ねた。
彼女はなぜか最初ひどく驚き、続けて拒否の様子を示した。

宥めすかして話を聞いてみた結果は、驚くべきものだった。


「実験だったんです」

当時、大学で心理学を専攻していた彼女は、道端で度々目にする交通事故者への花束を手向けているのがどんな人で、直接関係のない人でも手向けているのかを調べていた。

そこで、「実際には交通事故が起こっていない場所に花を置いたら、無関係の人は花を備えつづけるだろうか」という実験を行なった。

最初の半年は何の変化もなかった。なんでもない場所に花を備える彼女を、近所の人が変な目で見ていたぐらいだった。だが、ある日いつものように花を持って訪れると、見覚えのない花が備えてあった。

実験は成功した。
事故など起こっていないのに、花束を供えた人物が現れたのだ。
この花を備えた人はどのような思いで行動を起こしたのだろうか?

背筋がゾクゾクした。
自分がやっていることが異常だとは思っていたが、こうなるとどこまでやれるか観察を続けて見たくなった。

花はどんどん増えた。人形やお菓子も供えられ出した。
いつの間にか事故の具体的な話も増えてきていた。
「小さな女の子」「ボール遊び」「飛び出して」「トラックに」「即死」。

数年が過ぎ、彼女は自分の実験を忘れかけていた。
ふと、噂を聞く。
ボール遊びをする少女の幽霊の話を。

ついに、「幽霊を見た」人が出てきた。いもしない幽霊を見た人が。

ことここに至って、彼女は怖くなった。
死んだ人間が幽霊になるのは、まだ理解できる。
魂というものがあるならだが。
だが、生きていたことがなかったものが幽霊になるものだろうか?

それでも、交差点に供えられた花束を見て幽霊を連想することはあるだろう。
だが、何も聞いていないし、供えられた花も見ていないのに幽霊を見た人が出てきたら?
その人は「何を」見たことになるのだろう。


一人歩きし始めた中身のない幽霊。
彼(彼女?)は、一体どこから来て、どこに行くのだろう?

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