短期自由刑の弊害 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ - 3月 01, 2021 短期間の拘禁は、受刑者にとっても社会にとっても有害である。①受刑者は前科がつくことによって社会復帰が困難になること。②刑務所で他の犯罪者と知り合い交流する中で、別の犯罪を覚えてしまう可能性がある。犯罪者が犯罪者を生み出すシステムになっているのではないかというのが近代の評価である。ゆえに短期自由刑は廃止の方向にある。これを解決する方法として、①執行猶予②罰金刑の二点があげられる。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
最悪の魔剣 - 10月 05, 2020 その剣には何の謂れもなく、魔力もなく、金属ではなく木から削り出され、刃さえ碌になかった。 神話の中で用いられたのはただの一度。けれど、そのひと振りでその神話世界を破壊してしまった。神話世界において有り得ないほど無能力でありながら、その影響力は計り知れないものがあった。 その剣の名はミストルテイン。北欧神話世界のすべてを滅ぼした神殺しの魔剣である。 すべては太陽神バルドルの悪夢からはじまる。美貌と才能に恵まれ、誰もに愛されたバルドルだったが、ある時から悪夢にさいなまれるようになった。これを心配した母神フリッグは生物無生物を問わず世界中に存在するすべてのものに、「息子バルドルを傷つけない」誓いを立てさせる。このため、いかなるものもバルドルに傷をつけることはできなくなった。ところが、世界の端に生えていたヤドリギの新芽だけは、若すぎてその必要がないという理由で誓いを立てていなかった。 こうして無敵の存在になったバルドルに、ほかの神々はたわむれにいろいろなものを投げつけて遊び、それらがバルドルに傷一つつけられないことを喜んだ。それは太陽が永久不滅であることのあかしだった。 しかし、これを面白く思わない悪神ロキは、誓いを立てていないヤドリギの話を聞きつけ、その枝から剣を作り出した。ミストルテインと名付けられたその剣は、盲目ゆえに遊びの輪から外れていたバルドルの兄弟神ヘズをたぶらかし、バルドルめがけて投げさせる。バルドルは兄弟神の投げたミストルテインに当たって命を落としてしまう。 これを嘆いたフリッグは、死の世界ヘルヘイムに赴き、死の女王ヘルにバルドルの復活を願い出る。ヘルは「全世界のものがバルドルのために涙を流すのであれば」という条件で復活を許可する。 事実、全世界のすべてのものがバルドルのために泣いた。ただ一人、女巨人セックを除いては。このため、バルドルの死は決定的なものとなってしまった。のちにこの女巨人セックはロキが変身した姿であったことが判明し、彼は神々に捕まり「洞窟に縛り付けられ、永遠に毒蛇の毒を浴び続ける」という厳しい罰を受けることになる。彼が苦しみから身をよじるために地震は起こるとされている。 かねて、最高神オーディンは巫女から予言を受けていた。 曰く、「息子は息子に殺され、神々が復讐するが時遅く、太陽は徐々に力を失い、世界は黄昏 続きを読む
ルサンチマンと司牧者 - 11月 23, 2020 「高貴な者」は能動的な人間たちであり、行動することに幸福をみいだす者たちである。 これにたいして「無力な者、抑圧された者」は労働を強いられているために、休息や平和のうちに幸福をみいだすにすぎない。 彼らは受動的な人間である。 そして高貴な者たちを恨み、自分たちの境遇を恨むことしかできない。 怨恨(ルサンチマン)の感情で満たされた奴隷たちは、「毒を含み、敵意をもった感情で化膿している」のである。 こうした者たちは、境遇を変えるために行動することができない無力な者たちであるために、心の中で価値を逆転させるしかないのである。 そこで心の中でひそかにこう考える。 われわれは無力である、しかし無力であるということは行動しないことであり、他人を強制して働かせたりすることも、他人に暴力を行使することもないということである。 ということは、われわれは善人だということだ。 「善人とは暴力を加えない者であり、復讐は神にゆだねる者であり、われわれのように隠れている者であり、……われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである」。 こうして奴は善なる者となり、主は悪なる者となったのである。 司牧者の役割 しかしこれはただ心の中だけのことだった。 たんなる恨みの感情からの自己憐憫であり、自己欺瞞にすぎない。 しかしここでこの感情を理解し、これに働きかける人物が登場する。 これは奴のように受動的な人間ではなく、他者に働きかける能動的な人間であるから、もとは主の身分のものだったに違いないとニーチェは想定する。 この人物が、奴の受動的な怨恨のルサンチマンの感情に働きかけ、これを正当化することに成功するのである。 これがユダヤ教とキリスト教の司牧者である。 司牧者はまず自己に能動的に働きかける。 「ある種の食餌療法(肉食を禁止すること)、断食、性的な禁欲、〈荒野への〉逃避」などの禁欲的な理想を実行するのである。 この禁欲的な理想には、修道院における労働が含まれていたことは当然のことである。 やがて司牧者はこの理想にふさわしい人々をみいだす。 それが労働と禁欲を強いられている奴隷たちである。 司牧者は奴隷たちに話しかける。 「惨めな者たちだけが善き者である。貧しき者、無力な者、卑しき者だけが善き者である。苦悩する者、とぼしき者、病める者、醜き者だけが敬虔なる者であり、神を信じる者である。 続きを読む
ジョーク集 - 11月 09, 2020 信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せなことに似ている キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない もしユダヤ人が神を殺したと言うなら、ユダヤ人を崇拝するべきだ 妄想の妄は、女を亡くすと書きます この国の人はお金はありますが心が病んでます 腰は曲がっていないが根性は曲がっておる 返事をするからストーンヘンジ 呼べば答えるストーンヘンジ 落ちるかどうかについて考えると落ちなくなるわけではない 高所作業に適応できる人間というのは、つまるところ、「もし落ちたら」ということを想定しない人間のことである 「信者」という言葉は、合わさると「儲ける」という漢字になる。よく覚えておけ。 古代太陽神の祭日に薄暗い建物に集い、血と肉を象徴する食物を食べ、古代の拷問具に祈りを捧げる くう、知識だけは一万円じゃない一人前 続きを読む
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