不遇なアブラハムの宗教、イエスの闇、そして真の信仰とは

ユダヤ、キリスト、イスラムに代表されるアブラハムの宗教は、基本的に「世界にはなぜこんなにも理不尽が溢れ、我々はなぜこんなにも不幸なのか」を説明する宗教で、要するに負け犬の宗教なのだと思う。

こんなことを言うと、後からいろいろな人から怒られそうなので、ここからは名詞をできるだけ控えて記述する。

ようするにすべての不幸や理不尽は神の試練であり、神には試練を与える権利があり、その意図は人間には推し量れないということらしい。


アブラハムの宗教は本当に不幸な宗教で、自分自身の聖典の中で崇める神様に意地悪されまくりで、なかには自分の息子を生贄に捧げさせられる人もいる。
人類最初の殺人は神様の意地悪が原因の兄弟げんかで、そのあと天使が原因で神様に洪水で滅ぼされ、一致団結して塔を作ったら言語を乱され、死んだら地獄に落とされまくる。
仏教の輪廻思想のような生まれ変わりなどのチャンスはいっさい無く、そもそも紀元前に死んでいれば、天国にも地獄にも行けず辺獄に放り出されて永遠に救いはない。
洗礼を受けていても、死んだあとの救いは神の国が到来するまで放置され、しかも聖典ではすぐ救いに来ると約束しておきながら、かれこれ二千年来ていない。
これではすぐ来る詐欺である。
神の国到来直前では世界中で天使による大虐殺が行われる予定で、そのあと生き残るのは十四万四千人の男(童貞)のみ。


なんでこんなことになってしまったのか。

アブラハムの宗教の歴史は苦難の歴史だった。
ローマ帝国初期の段階では、現代において最もでかい面をしている宗教もめちゃめちゃ迫害され、捕まってライオンをけしかけられたりタールを全身に塗られて火をつけられたりしている。
のちに聖典の書き方をうまく調整することによって権力に取り入ったので、一転当時最大の国家の主教となれたが、今度はそれが原因で、二千年前の救世主騒動の際の対応にしくじった三つのうちの最も古い宗教が救世主を殺したと誤解されて迫害され、千年以上迫害され続けた挙句、先の大戦ではチョビヒゲに数百万人単位で虐殺されてしまった。

そのでかい面している宗教の救世主騒動。その主役である例の彼も、実は闇が深い。

彼は無実の罪で死刑にならなければならなかった。それも身内の罪か裏切りによって。

なぜかと言うと、古いほうの聖典にそう預言されちゃっているから。
「救世主は人々に軽蔑され、見捨てられ、痛みを負い、病を知っている。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、咎のためである。彼の受けた傷により、私たちは癒された。(イザヤ書 53節)」
余計なことを書いたものである。ようするに無実の罪で死ななければ救世主でないというのだ。
この預言者は救済して欲しくなかったに違いない。

さて、よく知られているように、預言者の預言したとおり彼は弟子に裏切られ、無実の罪で捕らえられ、残った支持者には見て見ぬ振りをされた挙句に処刑された。

そして、3日後に復活。無事救世主となれた。悲しみに暮れていた唯一ついてきていた弟子の前で生き返るのはそうとう気まずかったに違いないが。

というわけで、彼の処刑は「預言者の言うとおり」というやつで、たぶん彼が生前に計画した通りの出来事であり、なんだったらかの有名な弟子の裏切り(対価は銀貨三十枚=当時の価値ではだいたい百万円程度)さえ彼の演出だったのかもしれない。

ただ、彼が本当の意味で救世主となりたかったのかどうかは、今となっては定かではない。
善良だったかどうかも。というのも教祖になっていないからだ。

ただ、食べることと飲むことは好きだったようだ。
「見ろ、大食漢で大酒飲みだ(マタイ11・19)」
ちっとでも根拠がなければこんなことは言われまい。たぶん嬉しそうに酒飲みながらパンを食べていたに違いない。


書けば書くほどどうなのかって気分になるが、それでもアブラハムの宗教を信仰する人は、現在世界人口のおおよそ半数を占める。
救いは確かにある、のだろう。


私の意見も、元をたどればある牧師から得た知識だ。
彼は上記のような知識を踏まえた上で、それでも神による救いはある、必ず神の国は訪れると力強く私に説いた。


あるフェリーのなかで彼に出会った私は、救いを説く彼に尋ねた。

「しかし、私には神の国が近いとはとても思えません。核兵器はなくならないし、アフリカではいまだ理不尽に人が死んでいく。日本だって深刻な犯罪が増加しているように思えます。この混迷を深める世界において、あなたの信仰を支えているのはいったいなんですか?」

「神の国。それはもうすでに我々の隣にあるのです。我々には見えていないだけで」

「???」

「神は我々の隣におわします。いつでもそばに寄り添ってくださり、呼びかければお答えがあります。我々に正しい道を教えてくださいます。それに従えば、我々はいつか神の国をこの世に作り上げることが出来るでしょう」

「たとえば、アメリカに奴隷制度を持ち込んだのは誰でしょう?あんな外道を行ったのは間違いなく悪魔信者だと思うでしょう?しかし悲しいことに、それは間違いなく聖書を学んだはずのキリスト教徒でした。アフリカから黒人を船にすし詰めにして運び、物のように扱い売り払いました。それはまさにこの世の地獄で、悪魔の所業でした。けれど忘れてはならないのは、それを撲滅しようと尽力したのもまた聖書を学んだキリスト教徒だったことです」

「なぜでしょう?聖書に「奴隷を解放せよ」と、そう書かれていたのでしょうか?違います。それどころか、聖書には奴隷を所有することを肯定する文章があります。(『くびきの下にある奴隷はすべて自分の主人を尊敬して仕えなければならない』 新約聖書 テモテ人への第一の手紙 第六章)」

「では、なぜ奴隷制度を廃止しようと戦ったのでしょうか?それは彼らのそばに神がおわしたからです。疑いようのないほど正しい導きがあり、彼らは自分のすべきことを確信していたのです。そうした努力の末、ついに奴隷制度はなくなりました」

「確かに、核兵器は我々をいまだ脅かし、テロリストも暗躍しています。環境汚染も深刻ですし、犯罪もなくなりません。次から次に現れる脅威に、人類の未来は風前の灯に思えます。けれど、あなたもご存知のように、かつては見捨てられていたほとんどの病気は治療可能になり、子供が一日18時間も働かなくても暮らしていけるようになりました。商店には新鮮な食品が並び、安全な水道が引かれています。携帯電話やインターネットが離れた人々を繋ぎ、人種や皮膚の色、宗教による差別もずいぶんなくなりました」

「かつての人々から見ればどうでしょう。きっと今の世界をまさに預言にある神の国だと言うでしょうね。私たちは、それをただ座して待っていて手に入れたのでしょうか?聖書にあるとおり、宝石で散りばめられた神の国が空から降ってきたのでしょうか?」

「そう、おっしゃる通りそうではありませんよね。人類はつねに努力し、知恵を絞り、みなで協力して今の世界を作り出したのです」

「本当の神の国は、聖書にある通り、遥か昔にもう人類に贈られているのです」

「神の国。それは私たちの心の中にあります」

「自分の心に問いかけて御覧なさい。たとえ聖書に書かれていなくても、毒ガスや生物兵器、地雷や核兵器が悪であると分かるでしょう。差別や偏見や麻薬や犯罪が悪魔のささやきであることも理解できるでしょう」

「何故だと思いますか?それは、私たちの心に、神様が『神の国のもと』となるものを贈ってくださったからです」

「普通、私たちはそれを良心と呼びます。どうです、理解できるでしょう。良心こそ、人類を正しく導く神様からのギフトなのです。それに従い、努力を怠らなければ、本当の、神の国はいずれ我々の前に形を持って姿を現すでしょう」


彼は私の出会った中で、まちがいなく最高の信仰心を持つ牧師だ。彼の言葉は私の中の偏見を打ち砕いた。彼の前では神の地上代行人たるローマ教皇すら霞んでしまう。彼の言葉に勝る説教を、この長い人生のうちに聞くことはないだろう。

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